知る・歴史

知る・歴史 戸沢村のトリビア

戸沢村ってどんな村

山形県の北部・最上地方に位置し、東は新庄市、西は庄内町、南は大蔵村、北は鮭川村と酒田市に接しており、東西18km、南北23kmに広がり、面積261.31km2です。
村の中央を日本三大急流の最上川が東西を貫き、古くから最上川舟運の要衝として栄え、俳人の松尾芭蕉や正岡子規をはじめ、多くの文人たちの歴史も数多く残されています。また、年間のうち、約4か月間は雪にうずまる寒冷の地です。日本で初めて健康保険の仕組みをつくった「共助の精神」は、村づくりの大切な理念として今も村民に受け継がれています。

戸沢村の歴史・伝説

舟運の歴史
陸の交通機関が発達していなかったころ、荷物を運ぶ手段は舟でした。最上川は江戸時代に最上義光らにより上流から河口まで航路が開かれるとたちまち主要な輸送路となり、舟運が発達しました。戸沢村には関所である戸沢藩船番所が設けられ、最上川舟運の要衝として栄えました。

歴史を感じる観光スポット
・最上峡芭蕉ライン観光
・最上川舟下り 義経ロマン観光
・最上峡夕景の地

奥の細道紀行
俳聖松尾芭蕉の「奥の細道紀行」は、元禄二年に江戸深川から岐阜大垣までの約六百里、約五カ月間にわたる歌枕や名所旧跡を巡る旅の記録です。戸沢村も行路となっており、「五月雨を集めて早し最上川」が誕生した地です。

現在の大石田にてすでに「五月雨を集めて涼し最上川」と詠んでいた句を、梅雨時期の増水した最上川の奔流を体験し「涼し」を「早し」に推敲したのではないかと言われています。

歴史を感じる観光スポット
・最上峡芭蕉ライン観光
・最上川舟下り 義経ロマン観光

最上峡の義経伝説

白糸の滝
史伝物語「義経記」によると、源義経一行は奥州平泉を目指し最上川を遡った際、戸沢村の白糸の滝を通過したとあります。その際、義経の正室北の方が「最上川 岩越す波に月冴えて 夜面白き白糸の瀧」などの和歌を詠んだと記されています。義経たちは、どんな思いでこの景観を横目に通り過ぎたのでしょうか。年中絶えず流れる白糸の滝は今もなお変わらずに美しい姿を見せてくれています。

歴史を感じる観光スポット
・白糸の滝ドライブイン
・最上峡芭蕉ライン観光

仙人堂
義経北国落ちの際、義経の従者であった常陸坊海尊がこの地で別れ、山に篭り修験道の奥義を極めて仙人になり義経の最期の様子をいつまでも語り継いだという由来がある仙人堂。最上川右岸に位置し、舟でしか行くことのできない神社です。

歴史を感じる観光スポット
・仙人堂

角川竜神伝説

むかしむかしのことだとさ
おれも見てきたわけでもないが
としよりから聞いた角川の話
そのむかし角川は「澄川郷」と呼ばれるよくよく小さな狩猟部落であった。
今のように開けた田や畑はなく柳や楢の木の密林と狭く深い澄川で採れるマスや鮭を、弓や木を尖らせた槍で狩りをして日々の暮らしを立てておったそうな。
神亀元年卯の三月、高倉山と今神山、今楯山などの噴火によって近くにあった御池は熱湯と化し、御池を住処としていた竜の角は折れ、竜の血で御池も下流の澄川も真っ赤に染まったんだど。
竜のあまりの無惨さを見た人々は澄川を「血の川」と呼ぶようになったそうな。
そうこうして何年たったか、竜の角にちなんで「角川」と呼ぶようになった。
角川に村とついたのは、明治の始めだとさ。ドンべスカンコナイトハ

歴史を感じる観光スポット
・御池

月山信仰と戸沢村

東北随一の霊峰月山は、古くから信仰の対象とされ崇められてきました。かつては戸沢村にも登拝道があったと言われ、月山を目指した修験者らが身を清めた「浄の滝」や、参拝者が道中の無事を祈願した「今熊野神社」など、月山信仰の聖地を訪れることができます。

歴史を感じる観光スポット
・今熊野神社
・角川の大杉
・浄の滝

国保発祥の地

昭和初期、東北地方を襲った大冷害による飢饉や疫病などで農山村地域は窮乏を極め、病気になったら死を待つばかり、白米は死ぬ間際にしか口にできないといった状況でありました。旧角川村では、村立の診療所開設による無医村の解消・助け合いによる保健組合設立(昭和11年4月)に取り組みました。
国は昭和13年7月、国民健康保険法を施行し、角川村保健組合は同年8月1日、「角川村国民健康保険組合」としてこの法律の設立認可第一号となりました。これを記念し、「相扶共済の石碑」が昭和31年に建てられ、地域のシンボルとなっています。

歴史を感じる観光スポット
・相扶共済の石碑